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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【377】|MK新聞連載記事

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MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2019年9月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

石井恭二『正法眼蔵の世界』(河出書房新社、2001年)を読んでいたら次のような一節に目が留まった。
禅林で仏弟子が「女流の修行者を(中略)淫欲の対象になってしまうからこれを避けるのであれば男子もまた避けなければならない(中略)淫欲の対象になってしまうからとして避けるのであれば、すべての男とも女とも避けあって、互いに研鑽する機会もなくなってしまう」。
解説によれば、これは永平寺に伝わる『秘密正法眼蔵』にだけ残った、七十五巻本の「礼拝得髄」巻から一部を引用、現代語訳したもの。
道元は、禅林に女性出家者(比丘尼)が参ずることに否定的ではなかった、むしろ積極的であったという。
道元は十三世紀に生きた人だから、女性観に関する彼のこの先進的な認識は興味深い。
男社会における男による自己中心的な考えから、女は欲望の対象の裏返しとして修行の上で忌むべき存在だとするなら、逆の立場――女性の目線で言えば、男性が排除されるべき対象じゃないか、というわけである。
もっと言えば、男の淫欲の対象が女だけとは限らないじゃないか。女人禁制の場なら男を女の代用にする、あるいはむしろ積極的に男が対象である、さらにどちらもよろこんで、なんていろんな男がいるじゃないか、というわけである。
LGBTをキーワードに性自認や恋愛対象の多様性などに関する意識について社会的な感心が高まっている今、あらためて道元のこの言葉を読むと、自ずとそのように受け取ることができる。
いや、道元はさらに論を進めて言う。
「煩悩の執着の因となって相手を汚すことになるのであれば、男も縁となる、女も縁となる、非男非女も縁となる。夢幻空花も縁となる。あるいは水影を縁として、非行となることもあった、あるいは天日を縁としての非行もあった。神も境縁となる。鬼も境縁となる。そうした縁は数えつくすことはできない」と。
「非男非女も縁となる」との指摘はまさに今日的でおもしろい。ただ、それ以降については、そこまで話を広げると少し焦点がぼやけてしまうのではないかという気がしないでもないが。
「夢幻空花」には、今ならSNSも含まれるのかもしれない。
それにしても「神も境縁となる」は別の次元で意味深、するどい言葉ではないだろうか。

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

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